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ストックウェル(''Stockwell''、1849年 - 1870年)は、19世紀中ごろに活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。エプソムダービーは20着と大敗したが2000ギニーとセントレジャーステークスに勝ち二冠を達成した。種牡馬としても計7回のイギリスリーディングサイアーを獲得するなど活躍し、「種牡馬の皇帝」と呼ばれた。 母は「繁殖牝馬の皇后」と呼ばれた大繁殖牝馬ポカホンタスで、本馬の全弟にラタプラン、半弟にキングトムほかを輩出している。 2歳時は善戦こそするものの1勝もできずにおわったが、2000ギニーに出走するとホームブレッドを捕らえて半馬身差で勝利した。初勝利が2000ギニーという快挙である。その後、1戦を叩いて出走したエプソムダービーでは20着と大敗するも、それ以外は連勝街道を突き進み秋にはセントレジャーステークスを制覇、二冠馬となる。最終的にこの年は13戦11勝という優秀な成績を残した。 だが翌年はロシアインペリアルプレート(当時のアスコットゴールドカップの名称)で2着に入ったものの1勝もできずに終わった。5歳時は1戦のみで、唯一出走したマッチレースでは対戦相手が故障している。このレースを最後に引退した。 種牡馬成績は非常に優秀なもので計7回リーディングサイアーを獲得した。直系子孫は意外に発展しなかったが、ドンカスターの仔であるベンドアを通じて主流血統を築いている。ファラリス系、オーム系共にベンドアの直系子孫である。 ストックウェル自身はヴァイエの標準ドサージュで340と19世紀中4番目の値が与えられている。また、1866年の獲得賞金は特筆もので、この年の産駒の勝ち数は132にも及び、総獲得賞金61,340ポンドはその後68年間破られなかった。19世紀を代表する種牡馬セントサイモンとの比較でも、リーディングサイアー回数、後世への影響の点で若干劣るものの直仔の活躍はほぼ同等であり、勝ち数・勝ち頭数を中心とした幾つかの指標で上回っている。 == 競走成績 == *1851年(2戦0勝) *1852年(13戦11勝) * セントレジャーステークス、2000ギニー、ニューマーケットセントレジャー、ニューマーケットステークス、グレートヨークシャーステークス、ミシル大侯爵ステークス、フォールステークス、レーシングステークス、 300ソヴリンステークス、ナボブとのマッチ *1853年(4戦0勝) * 2着 - ロシア皇帝プレート(アスコットゴールドカップ) *1854年(1戦1勝) * チャレンジフォーザホイップ 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ストックウェル (競走馬)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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